ツギトリ

実際的な出版流通に即しつつも突飛で無責任なご提案。

「出版不況とブックファンタジー」あとがき(1)

改めまして重ねまして、先日はご来場ありがとうございました。
さて、ほどよく記憶も薄らいだところで、シンポジウムのあとがきを、(多分)3回にわけてお送り致します。こちらはシンポジウムの記録等ではなく、その場に居合わせたいちスタッフの作文と言うことで、その点ご了承お願い致します。

出版不況ファンタジー

さて、討議に際して先ず「出版不況」という設定からして問題となりました。これについては企画段階でパネリストからも指摘があり、また、タイミング良く? プレ・イベントとして朗読した「出版不況クロニクル」の最新記事でもその論争が繰り広げられています。発端(と言っても繰り返しの話題なんですが)は業界誌「出版ニュース 2016年4月中旬号」(出版ニュース社)掲載、林智彦(朝日新聞デジタル本部)の記事『だれが「本」を殺しているのか 統計から見る「出版不況論」のゆくえ』です。だいたい同じ内容の記事がネット上にもありますので、順を追いますとこのようになります。

  1. 林智彦「出版不況は終わった? 最新データを見てわかること」
  2. 小田光雄「出版状況クロニクル96(2016年4月1日~4月30日)」(の、14)
  3. 仲俣暁生「「出版不況論」をめぐる議論の混乱について」

上記記事はご参考まで。この議論に限らず、ともあれ「出版不況」という問題設定に対し寄せられる反論は、僕なりにざっくりわけると、

A.出版だけが不況ではない(どの業界も不況である)

B.出版不況ではない(特定の業界だけが不況である)

の、2種類になるかと存じます。この二つは真っ向から矛盾するわけではありませんが、Aについては不況を認めるので、方向としてはやはり相反すると思われます。

まず会場でも真っ先に出てきたAのご意見。連日ニュースを賑わせる、かつて日本を一世風靡した一流家電メーカーの破綻に較べれば、たかが中堅総合取次の連続破綻なんて小匙にも満たぬ些事。市場は爛熟し、白物家電やテレビや車の特需は無く、スマートフォンなど新しい情報分野では海外の後塵を拝す。そも日本の人口が減少して高齢化、海外へ輸出が難しい商材となれば、不況は必然。取り立ててそれを「出版」で括って特別扱いする必要は無い、という話です(むしろ生産人口を考えれば出版はむしろ堅調な方、というのが永江朗の議論。「ユリイカ 2016年3月臨時増刊号 総特集 出版の未来」所載 鼎談「堀部篤史✕内沼晋太郎✕永江朗「裏通り」の書店の挑戦」より)。と言うか、本は嗜好品なので、お財布が厳しくなれば当然厳しくなる。不況、故に、出版不況、というだけで、出版不況は論ずるべき原因ではなくただの結果でしかない、と。
確かにそうです。開催前、知人からは「別にお金があったらたくさん本買うよ!」という話も聞きました。問題なのは、出版特有の事情ではなく、お金がないから、だけだと。ただ一方で「出版業界は不況に強い」とも言われてきました。何でかは知りませんけど。1996年迄は売上右肩上がり、バブル崩壊の第一次平成不況を乗り切ったからでしょうか。「大不況には本を読む」橋本治河出書房新社)なんて本がある通り、不況なら不況でそれをネタにする、というメタな位置で商売できるからでしょうか。どんな時代であれ、その時代が求める本、というのは確かにあり得そうです。

林氏の主張はBですね。ツギトリでも記事にしました「流通上の雑誌と書籍の分類」これを一旦廃して手練手管な統計操作、一般書籍とコミック単行本と電子書籍を含めた「広義の書籍」はむしろ堅調、凋落は定期刊行雑誌等「狭義の雑誌」ということで、業態の変動は勿論あるけれど広義の出版は不況ではない、と。
御説御尤もで、良かった出版不況なんて無かったんだリストラされた社員なんていなかったんだ!……ですが、これは業界の立ち位置によります。著者・出版社・取次・書店・読者、の出版を巡る所謂「業界五者」のうち、業態の変動つまり電子化について、著者と読者は好みの問題あれどもむしろ利便性が上がって敷居が下がりチャンス到来か、出版社は下手すりゃ中抜きされるけれど本作りには編集も大切だし上手くすれば過去の資産もあるし矢張りチャンス、哀れ悲惨なのは取次と書店で、これは紙の本が物量としてあってこそ。この立場からすると、出版不況なんてない、と言われましても、という話(勿論、取次や書店も電子化に対する取組みはあります)。
「それが業態の変動というものだ、みんながみんな揃って変われるわけではない」そうですね、と議論はここで大抵お仕舞いですが、ツギトリとしては(そうしていつもそこで議論が終わっちゃうので)、単にその続きをしようぜ、ということです。それでご飯を食べてきた人が実際にいますし、より良い形で撤退戦が演じられればそれに越したことは無い。それに(これが一番大切なんですが)もはや旧態とはいえ、それが現状の御存知「本」を作ってきたことは否めないので、業態が変動した時、流通だけでなく「本」そのものの本質も変わっていくのではないか、と考えるわけですが、この話はまた追々ツギトリ本編にて。

出版業界はコミケの夢を見るか

Aに属するご意見としてコミケは盛況では」というご意見をいただきました。なるほど、コミックマーケットについて、企画者は考えていませんでした。あの盛況(らしい)、書店には何故無いのでしょうか。
識者によるコミケ論はそれだけで一大絵巻になるでしょう、私は個人的にもその方面に無知なので、何とも言及しにくい。そもそも出版書店流通と同人誌即売会では根本的に違う、と簡単に言えそうですが、端から見れば同じ「紙の本の販売」には違いなく、片や斜陽で片や日本の新しい風物詩。これを何と考えれば良いでしょうか。取り急ぎ思いつくのは、

  1. コミケは趣味で、出版業界は商売
  2. コミケはハレで、出版業界はケ
  3. コミケは即売で、出版業界は流通

先ず、コミケはそも営利目的の商売ではない。ぼんろぼんろ即売会で稼いでいる同人作家も多数いると思いますが、今さっきネットで調べたところコミケ参加サークルの、コミケ以外も含めた年間収支)約7割は赤字。20万円以上の黒字を出しているサークルは10%未満です。個人的には20万円以上の黒字を出すサークルが10%近くあるのはものすげえ、って話ですが、この「収支」には制作経費・人件費が含まれているかは果たして。ともあれ、同人誌の制作と販売は飽くまで趣味の範疇で語られるべきでしょう。「薄い本は高い本」と言われますが、制作部数と印刷代と利益率を考えれば、むしろ安くてお得かもしれません(もともとこうした即売会は飽くまで会誌の交換会から発足した、という経緯もあった気がします)。
2については、コミケに限っていえば年2回各3日、計6日間の開催、じゃあ毎日やれば年間で売上は約60倍!……とは多分ならない。開催日が限られているからこそ、人手と売上が集中する。文字通り、盆と正月(年の瀬)。全く計算していないですが、衰えたりと言え仮にも出版流通は1兆6千億円。逆にこれを6日間、一カ所に集中させたら……雲が出るどころの騒ぎではありません。コミケもすごいけれど、同じくらい、全国で毎日ちまちま本が売れるのもすごい、ってことですね。
会場からは「作者が自分で販売するから売れる」という指摘がありました。コミケは、そもそも「流通」でなく「即売会」ですね。何が「即」といったら、作り手から即、なわけです(多分)。流れない。作者自身かは別にしても、売り子は商品に深くコミットした作者に近い存在なのが普通。登壇者である北田さんの本も、どこかの即売会では飛ぶように売れたそうです。というか、このシンポジウム当日も羽をつけたように「これからの本屋」は売れて行きました。そう考えれば、書店が新刊を出した作者を招いてトークイベントを開催するのも自然ですね。……今ふと思いましたが、作者が直接関わると売れるなら、書店すらも特に売りたいと思わない本について、敢えて作者を招いて売ってもらう、というのも面白そう。その神通力の試験にもなりますし。

剣を鍬に、本を円に

ところで、同人誌は電子化しないのでしょうか。むしろ商業出版より、同人誌というか同人活動の方が遥かに電子化と相性が良い気がします。そして実際に(同人誌という括りも除けば)数多のアマチュアの表現がネット上に溢れています。しかし、それはそれとしてコミケはむしろ動員数を伸ばしてきた。このご時世に、何故、ある種のものは「本」という紙束に結実し、求められるのか。ちゃんと手にとれるグッズとして、また数量が限られることで希少性を高めるためもあるでしょう。そうした体験も込みで価値を持つ。等々。
一方、思ったのは、紙の本として物の形をとることで、現金販売がしやすいのが最大の理由ではないか、という点です。当シンポジウムのチラシに「本は紙幣に他ならない」と書きましたが、むしろ最初からデーターとして作られたであろう絵や文を、お金にかえるのは、まずそれ自体を本という紙幣にする必要がある、と。
私見ですが、電子の弱点として、現金で販売しにくい、ということがあるかと思います。これは情緒等を除けば、電子メディアの数少ない弱点かと思います。しにくい、だけであって不可能ではないけれど(対面でCDやUSBを売ればいいだけの話なので)、電子データーの販売を対面に限る理由は無く、普通はネットワーク上での販売になります。その際、何かしらのシステムに乗っかって決済するわけで、システム運営会社やカード会社にアガリをとられる(代金引き換えも現金で購入している感じですが、運送会社が決済を肩代わりしてアガリをとっていると)。便利なシステムを利用している以上、アガリをとられるのが必ずしも嫌というわけじゃないけど、こっちは趣味なのに、あっちはビジネス。即売会もショバ代を払いますが、実際の売上とは比例しない。売上は銀行振込なので、補足される。例えトントンの非営利ただの趣味でも、特定法人から定期的に売上が振り込まれたら、何かとややこしいでしょう(税務処理をしている大手は別として)。

神話の流通コスト

それからもう一つだけ。売れる同人誌の多くは、二次創作です(多分。調べたわけではありませんが)。それが書き手と買い手の興味をひくための共通土台となる神話とでも言うべき「原作」の制作・流通コストが浮いているわけです。神話足り得る「原作」には、出版、放送などのマスコミュニケーションが必要です。一次流通あっての二次即売。
とは言え……比率としては出版流通が原作となる割合は低くなりつつあると思います。今ははソーシャルゲームの原作が人気ですね(艦これとかアイマスとか?)。アニメもオリジナルが多い(プリキュアとか?)。また、オリジナルの同人作品が原作も今は一大ジャンル(東方とかひぐらしとか?)。これらは逆に、出版流通が同人業界にお世話になるパターンですね。講談社のノベルス何かは、同人出身の作品が多かったと思います。また、一次あっての話、ではありますが、同人業界が原作を大きく後押しすることもあります(週刊少年ジャンプで短期打ち切りとなった「新米婦警キルコさん」なんかそう。新連載第一話の時点でキャラクターデザインが受けてイラストがネットにあふれることに。原作あってこそのイラストだけど、こうした応援が原作の持つ力以上に、二次創作が原作を後押ししたのではと思います)
以上、コミケ/同人誌と出版流通については、全く周知のこととは思いますが、素人として上記の通り確認しました。良い機会になりました。

(多分)つづく