ツギトリ

実際的な出版流通に即しつつも突飛で無責任なご提案。

「出版不況とブックファンタジー」あとがき(1)

改めまして重ねまして、先日はご来場ありがとうございました。
さて、ほどよく記憶も薄らいだところで、シンポジウムのあとがきを、(多分)3回にわけてお送り致します。こちらはシンポジウムの記録等ではなく、その場に居合わせたいちスタッフの作文と言うことで、その点ご了承お願い致します。

出版不況ファンタジー

さて、討議に際して先ず「出版不況」という設定からして問題となりました。これについては企画段階でパネリストからも指摘があり、また、タイミング良く? プレ・イベントとして朗読した「出版不況クロニクル」の最新記事でもその論争が繰り広げられています。発端(と言っても繰り返しの話題なんですが)は業界誌「出版ニュース 2016年4月中旬号」(出版ニュース社)掲載、林智彦(朝日新聞デジタル本部)の記事『だれが「本」を殺しているのか 統計から見る「出版不況論」のゆくえ』です。だいたい同じ内容の記事がネット上にもありますので、順を追いますとこのようになります。

  1. 林智彦「出版不況は終わった? 最新データを見てわかること」
  2. 小田光雄「出版状況クロニクル96(2016年4月1日~4月30日)」(の、14)
  3. 仲俣暁生「「出版不況論」をめぐる議論の混乱について」

上記記事はご参考まで。この議論に限らず、ともあれ「出版不況」という問題設定に対し寄せられる反論は、僕なりにざっくりわけると、

A.出版だけが不況ではない(どの業界も不況である)

B.出版不況ではない(特定の業界だけが不況である)

の、2種類になるかと存じます。この二つは真っ向から矛盾するわけではありませんが、Aについては不況を認めるので、方向としてはやはり相反すると思われます。

まず会場でも真っ先に出てきたAのご意見。連日ニュースを賑わせる、かつて日本を一世風靡した一流家電メーカーの破綻に較べれば、たかが中堅総合取次の連続破綻なんて小匙にも満たぬ些事。市場は爛熟し、白物家電やテレビや車の特需は無く、スマートフォンなど新しい情報分野では海外の後塵を拝す。そも日本の人口が減少して高齢化、海外へ輸出が難しい商材となれば、不況は必然。取り立ててそれを「出版」で括って特別扱いする必要は無い、という話です(むしろ生産人口を考えれば出版はむしろ堅調な方、というのが永江朗の議論。「ユリイカ 2016年3月臨時増刊号 総特集 出版の未来」所載 鼎談「堀部篤史✕内沼晋太郎✕永江朗「裏通り」の書店の挑戦」より)。と言うか、本は嗜好品なので、お財布が厳しくなれば当然厳しくなる。不況、故に、出版不況、というだけで、出版不況は論ずるべき原因ではなくただの結果でしかない、と。
確かにそうです。開催前、知人からは「別にお金があったらたくさん本買うよ!」という話も聞きました。問題なのは、出版特有の事情ではなく、お金がないから、だけだと。ただ一方で「出版業界は不況に強い」とも言われてきました。何でかは知りませんけど。1996年迄は売上右肩上がり、バブル崩壊の第一次平成不況を乗り切ったからでしょうか。「大不況には本を読む」橋本治河出書房新社)なんて本がある通り、不況なら不況でそれをネタにする、というメタな位置で商売できるからでしょうか。どんな時代であれ、その時代が求める本、というのは確かにあり得そうです。

林氏の主張はBですね。ツギトリでも記事にしました「流通上の雑誌と書籍の分類」これを一旦廃して手練手管な統計操作、一般書籍とコミック単行本と電子書籍を含めた「広義の書籍」はむしろ堅調、凋落は定期刊行雑誌等「狭義の雑誌」ということで、業態の変動は勿論あるけれど広義の出版は不況ではない、と。
御説御尤もで、良かった出版不況なんて無かったんだリストラされた社員なんていなかったんだ!……ですが、これは業界の立ち位置によります。著者・出版社・取次・書店・読者、の出版を巡る所謂「業界五者」のうち、業態の変動つまり電子化について、著者と読者は好みの問題あれどもむしろ利便性が上がって敷居が下がりチャンス到来か、出版社は下手すりゃ中抜きされるけれど本作りには編集も大切だし上手くすれば過去の資産もあるし矢張りチャンス、哀れ悲惨なのは取次と書店で、これは紙の本が物量としてあってこそ。この立場からすると、出版不況なんてない、と言われましても、という話(勿論、取次や書店も電子化に対する取組みはあります)。
「それが業態の変動というものだ、みんながみんな揃って変われるわけではない」そうですね、と議論はここで大抵お仕舞いですが、ツギトリとしては(そうしていつもそこで議論が終わっちゃうので)、単にその続きをしようぜ、ということです。それでご飯を食べてきた人が実際にいますし、より良い形で撤退戦が演じられればそれに越したことは無い。それに(これが一番大切なんですが)もはや旧態とはいえ、それが現状の御存知「本」を作ってきたことは否めないので、業態が変動した時、流通だけでなく「本」そのものの本質も変わっていくのではないか、と考えるわけですが、この話はまた追々ツギトリ本編にて。

出版業界はコミケの夢を見るか

Aに属するご意見としてコミケは盛況では」というご意見をいただきました。なるほど、コミックマーケットについて、企画者は考えていませんでした。あの盛況(らしい)、書店には何故無いのでしょうか。
識者によるコミケ論はそれだけで一大絵巻になるでしょう、私は個人的にもその方面に無知なので、何とも言及しにくい。そもそも出版書店流通と同人誌即売会では根本的に違う、と簡単に言えそうですが、端から見れば同じ「紙の本の販売」には違いなく、片や斜陽で片や日本の新しい風物詩。これを何と考えれば良いでしょうか。取り急ぎ思いつくのは、

  1. コミケは趣味で、出版業界は商売
  2. コミケはハレで、出版業界はケ
  3. コミケは即売で、出版業界は流通

先ず、コミケはそも営利目的の商売ではない。ぼんろぼんろ即売会で稼いでいる同人作家も多数いると思いますが、今さっきネットで調べたところコミケ参加サークルの、コミケ以外も含めた年間収支)約7割は赤字。20万円以上の黒字を出しているサークルは10%未満です。個人的には20万円以上の黒字を出すサークルが10%近くあるのはものすげえ、って話ですが、この「収支」には制作経費・人件費が含まれているかは果たして。ともあれ、同人誌の制作と販売は飽くまで趣味の範疇で語られるべきでしょう。「薄い本は高い本」と言われますが、制作部数と印刷代と利益率を考えれば、むしろ安くてお得かもしれません(もともとこうした即売会は飽くまで会誌の交換会から発足した、という経緯もあった気がします)。
2については、コミケに限っていえば年2回各3日、計6日間の開催、じゃあ毎日やれば年間で売上は約60倍!……とは多分ならない。開催日が限られているからこそ、人手と売上が集中する。文字通り、盆と正月(年の瀬)。全く計算していないですが、衰えたりと言え仮にも出版流通は1兆6千億円。逆にこれを6日間、一カ所に集中させたら……雲が出るどころの騒ぎではありません。コミケもすごいけれど、同じくらい、全国で毎日ちまちま本が売れるのもすごい、ってことですね。
会場からは「作者が自分で販売するから売れる」という指摘がありました。コミケは、そもそも「流通」でなく「即売会」ですね。何が「即」といったら、作り手から即、なわけです(多分)。流れない。作者自身かは別にしても、売り子は商品に深くコミットした作者に近い存在なのが普通。登壇者である北田さんの本も、どこかの即売会では飛ぶように売れたそうです。というか、このシンポジウム当日も羽をつけたように「これからの本屋」は売れて行きました。そう考えれば、書店が新刊を出した作者を招いてトークイベントを開催するのも自然ですね。……今ふと思いましたが、作者が直接関わると売れるなら、書店すらも特に売りたいと思わない本について、敢えて作者を招いて売ってもらう、というのも面白そう。その神通力の試験にもなりますし。

剣を鍬に、本を円に

ところで、同人誌は電子化しないのでしょうか。むしろ商業出版より、同人誌というか同人活動の方が遥かに電子化と相性が良い気がします。そして実際に(同人誌という括りも除けば)数多のアマチュアの表現がネット上に溢れています。しかし、それはそれとしてコミケはむしろ動員数を伸ばしてきた。このご時世に、何故、ある種のものは「本」という紙束に結実し、求められるのか。ちゃんと手にとれるグッズとして、また数量が限られることで希少性を高めるためもあるでしょう。そうした体験も込みで価値を持つ。等々。
一方、思ったのは、紙の本として物の形をとることで、現金販売がしやすいのが最大の理由ではないか、という点です。当シンポジウムのチラシに「本は紙幣に他ならない」と書きましたが、むしろ最初からデーターとして作られたであろう絵や文を、お金にかえるのは、まずそれ自体を本という紙幣にする必要がある、と。
私見ですが、電子の弱点として、現金で販売しにくい、ということがあるかと思います。これは情緒等を除けば、電子メディアの数少ない弱点かと思います。しにくい、だけであって不可能ではないけれど(対面でCDやUSBを売ればいいだけの話なので)、電子データーの販売を対面に限る理由は無く、普通はネットワーク上での販売になります。その際、何かしらのシステムに乗っかって決済するわけで、システム運営会社やカード会社にアガリをとられる(代金引き換えも現金で購入している感じですが、運送会社が決済を肩代わりしてアガリをとっていると)。便利なシステムを利用している以上、アガリをとられるのが必ずしも嫌というわけじゃないけど、こっちは趣味なのに、あっちはビジネス。即売会もショバ代を払いますが、実際の売上とは比例しない。売上は銀行振込なので、補足される。例えトントンの非営利ただの趣味でも、特定法人から定期的に売上が振り込まれたら、何かとややこしいでしょう(税務処理をしている大手は別として)。

神話の流通コスト

それからもう一つだけ。売れる同人誌の多くは、二次創作です(多分。調べたわけではありませんが)。それが書き手と買い手の興味をひくための共通土台となる神話とでも言うべき「原作」の制作・流通コストが浮いているわけです。神話足り得る「原作」には、出版、放送などのマスコミュニケーションが必要です。一次流通あっての二次即売。
とは言え……比率としては出版流通が原作となる割合は低くなりつつあると思います。今ははソーシャルゲームの原作が人気ですね(艦これとかアイマスとか?)。アニメもオリジナルが多い(プリキュアとか?)。また、オリジナルの同人作品が原作も今は一大ジャンル(東方とかひぐらしとか?)。これらは逆に、出版流通が同人業界にお世話になるパターンですね。講談社のノベルス何かは、同人出身の作品が多かったと思います。また、一次あっての話、ではありますが、同人業界が原作を大きく後押しすることもあります(週刊少年ジャンプで短期打ち切りとなった「新米婦警キルコさん」なんかそう。新連載第一話の時点でキャラクターデザインが受けてイラストがネットにあふれることに。原作あってこそのイラストだけど、こうした応援が原作の持つ力以上に、二次創作が原作を後押ししたのではと思います)
以上、コミケ/同人誌と出版流通については、全く周知のこととは思いますが、素人として上記の通り確認しました。良い機会になりました。

(多分)つづく

満員御礼 / 出版不況とブックファンタジー

先日はシンポジウム「出版不況とブックファンタジー」にご来場いただき、またはご来場をご検討いただき、ありがとうございました。

また、会場ではご不便をおかけしたことをお詫び申し上げます。皆様のご協力の上、そこそこ、無事、終えることができました。進行の点においても反省点は多数ございますが、何卒ご容赦下さい。

私なりの「あとがき」を当ブログで書きたいと思います。宜しければまた覗いてくださいませ。「まえがき」については、会場でお渡しした資料もご参照下さい。

 

サイトの方にも、作文を書いております。

http://tgtr.kiwamari.org/

そうそう肝心要「本文」については、喧噪の中、一応、即興出版できました。ご報告致します。

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尚、初版一部です。また何らかの形で改訂・重版できれば……と。

それでは引き続きツギトリにご期待くださいませ。

シンポジウム「出版不況とブックファンタジー」

2016年5月15日16時より、ツギトリの主催でシンポジウムを開催致します。その名も「出版不況とブックファンタジー」。会場は、大阪市阿倍野区にある児童図書室もものこぶんこ。ブックファンタジーの代表的現象でもある「まちライブラリー ブックフェスタ2016in関西」参加企画です。仔細は下記ツギトリ公式サイト他をご参照下さい。

ツギトリ / 公式サイトのご案内。

シンポジウム/出版不況とブックファンタジー / フェスタご提供のFacebook

開催概要

日時

2016年5月15日(日) 16時より / 開場は30分前
場所
もものこぶんこ
地下鉄御堂筋線昭和町駅2番出口を出て北へ。小学校の北角を左折し、直進。信号を渡って少し行くと左手にオレンジの屋根が見えます。開館しているときは小さな看板も出ています。谷町線文の里駅6番出口からも至近です。
Google MAP (光陽マンションの1階です)
シンポジウムに飽きたら児童書も読める好立地
ISBN
978-4-9908899-0-6
申し込み不要ですが、万一満席の場合はご予約いただいた方を優先致します。ご予約はtgtr@kiwamari.org 迄メール下さいませ。

パネリスト

吉田正隆(出版取次)
出版取次会社勤務。特殊部署に所属し、既存流通のソリューションと、新サービスモデル構築を担当。本という商材について、言語学的アプローチでの分析を模索中。関西学院大学卒。徳島県出身
北田博充(本屋/元リーディングスタイル)
本・雑貨・カフェの複合店「マルノウチリーディングスタイル」を立ち上げ、マネージャーを務める。原宿明治通りにある「niko and...TOKYO」のブックディレクションを担当するなど、異業種小売店の書籍売場プロデュースも手がける。2016年4月に退職し、『これからの本屋』を刊行。関西大学卒。兵庫県出身。
山本握微(普通芸術)※企画・進行
普通芸術家。劇団乾杯主宰。芸術を実用の視点から再点検し、時折、実践する。本に関わる活動としては、一日かけて大型書店の棚を全て見回る「ブックオン」、深夜に児童図書室を開放する「よふかしぶんこ」など。今回、実際的な出版流通を見据えつつ無責任に各種の提案を行う「ツギトリ」を立ち上げる。

前口上

深刻な出版不況と反比例するかのように高まる「本」への関心と幻想。町の新刊書店が消えていき、出版社が倒産し、総合取次の破綻が連続する中で、個人で書店の開業を希望する人が増えたり、民間の指定管理者による次世代の図書館が盛んに議論されたりしています。

一方、時代遅れ、とインターネットを中心とした新しい情報技術の対極として取り上げられやすく、やたらと非難の対象にさらされたりするのも出版業界です。

新美南吉「おじいさんのランプ」で、電灯の出現によりランプ商に見切りをつけたおじいさんが次に選んだのは、本屋でした。作中の最後、おじいさんは孫に「自分の古いしょうばいがお役に立たなくなったら、すっぱりそいつをすてるのだ。」と語ります。今頃、孫の東一君が継いだかもしれない本屋さんはどうなっているのでしょうか。

本をめぐる環境は複雑です。新刊書店の流通に限っても、他業種に比べ独自性が強いといえるでしょう。更に、古書店や図書館など二次流通も多様です。電子書籍もあれば、漫画喫茶もあります。最近は、売ってはいるけれど店内でゆっくり読むことができ、まるで売れなくてもいいような本、なんていうものまでありますね。まちライブラリーは、本を軸に地域の活動を(飲食店併設の場合はその売上も)促進しますが、寄贈された本(植本!)を無料で貸出すことは、本の著者や出版社にはどのような促進をもたらすのでしょうか。そもそも合法なんでしょうか。

今回のシンポジウムでは、業界に詳しいゲストを招き、基本的な状況を整理した後、参加者と自由に意見を交わしたく思います。本に関わる方や本が好きな方は勿論、もう本なんか読まなくなったなんて方もお気軽にお越し下さいませ。聞くだけの参加も歓迎です。

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宜しければ是非ご参加下さいませ。お気軽にどうぞ~。

余談ですが、もし個人で書店の開業を目論んでいる方がいらっしゃいましたら、終了後に具体的な商談も可な面子ですのでこの機会に。

雑誌のような雑誌/書籍のような雑誌/新聞のような雑誌

雑誌に関する戯言です。流通的な意味でなく、内容的な意味での雑誌について。

雑誌のような雑誌

いきなりトートロジーですが、現在、特に雑誌が売れなくなってきていると。ふうむ。ではかつて、雑誌は売れていたわけですね。なるほど。その古き良き時代? では、雑誌らしい雑誌が売れていた、と。読者は定期購読し、また編集者は固定客がいる故に安心して独特の世界を築ける、雑誌らしい雑誌というのが。

書籍のような雑誌

調べてたわけではなく印象論ですが、現在、ともあれ特定雑誌を定期購読するお客さんは減ったと思います。でも、面白い特集があれば買ったりする。一時は付録目当て、なんてのも流行りました。週刊誌がスクープ記事を出せば買ったり。

最近は雑誌が重版という現象もありますね。景気の良い話ですが、売り方的には決して効率が良いわけじゃありません(初版完売はめでたいでしょうが重版配本の適切さ如何でやっぱり買えない人や結局余ったりする書店や)。

ともあれ、定期刊行物ではあるけれど、定期的に買うのではなく、その号単体が面白そうなら買う。雑誌だけど書籍・単行本のような感じです。勿論、それもまた昔からある買い方ですし、毎号面白くすれば良いわけなんですが。ただ編集側は、流動客を意識する必要があるので、ディープな世界を構築しにくい。作り方も書籍のようになる。

また、流通上問題も。雑誌は、前号の実績を鑑みて配本されますから、特集が爆発した翌(々)月は配本が多くなって返品多、そして配本が少なくなって時に限って特集が爆発しては売り逃し……なんてことも。勿論、その辺も考慮されて配本はされているのでしょうが、著名雑誌の肝いりタイトルはともかく、ちょっとウケた程度の反映は難しいと思います。

新聞のような雑誌

こういう、雑誌の持つ「定期」的側面と「特集」的側面を考えていた時、ふと「新聞」について思い至りました。

新聞のような雑誌って思いつかない。いや、勿論、新聞の最大の特徴は「日刊」でありますから、そこは真似できません。でも、対象読者……すみからすみまで読むわけではないが、家族みんながそれぞれ読めるところがあるような。時事から実用、政治から科学、国際から地域、テレビ欄に4コマ漫画。新聞も今や部数危機かと思いますが、あれが雑誌だとしたら、他誌とは比べ物にならない定期数です。

というのは、昔、雑誌って、定期購読していた以前に、家族で読んでいた、と思い至りました。個人的には親子でPC雑誌、兄弟で漫画雑誌、といった具合に。家族で読むから、一人当たりのコストで考えたら安いし、安心して定期購読できる。書店申込じゃなくても、お父さんが仕事帰りに土産代わりに買って帰るような感じでも。

雑誌の「雑」とは内容だけでなく、ホントは読者層も「雑」多様である方がいいかもしれません。しかし、むしろ制作側は「読者層を明確にせよ」と言われていることでしょう。もし編集者が新雑誌創刊の企画書で「対象読者層:みんな」って書いたら怒られるんじゃないでしょうか。

よっしゃー、部数安定が雑誌の勘所、かつての雑誌らしい雑誌をも越えた、新聞のような雑誌を作りましょう。それはどんな? 或は、もう既にある?

という訳で以下次号。

シンポジウム・プレ・イベント「出版状況クロニクルを朗読する」

急遽、特に意味は無いですが、シンポジウム「出版不況とブックファンタジー」の開催2週間前ということで、朗読イベントを粛々と開催しました。

d.hatena.ne.jp

毎月、1日0時に更新される、出版業界時評、出版状況クロニクルです。1分前くらいからF5連打して(嘘です)更新された瞬間に読み上げました。声に出して読みたい出版危機。30分くらいかかった……。

今月の見所は、記事内項目14、です。ここには当ブログでも言及した「書籍と雑誌について」が問題とされているので、是非お読み下さいませ。なるほろ〜。

また余談ですが同文中にある「出版不況ではなく出版危機」ですが、実は当シンポジウムにおいても、突っ込みがありました。「出版不況ではなく、出版衰退ではないか。何故ならば、不況は好況に転じる可能性があるが、出版にはもうそれがない」と……。ま、もう印刷に出しちゃったんで、出版不況ということで、一つ宜しくお願い致します。

一冊両断「現地裁断返品(スキャン&シュレッド)」

要約

どうせ裁断するような返品は、書店で裁断しようぜ。

雑誌の耳塚

書店流通する本は、飽くまで返品条件付きのものに限りますが、返品ができます。

多数ある出版社から発行された本は、取次に集約・仕分されて、多数ある書店へ旅立って行くのですが、残念ながら返品することになった商品は再び、多数ある書店から、取次に集約・仕分されて、多数ある出版社へて返品されます。その拡散と収縮のサイクルは、まるで宇宙の生と死そのもの。いづれにせよ、膨大なエネルギーが費やされています。

特に返品は、売れない上に返品のためのコストがかかるので本当に悩ましい存在です。何で返品なんか認めるんでしょうね? まあ、ともかく返品すれば、再び出版社にてお色直しし、別の注文に割り当てられて、そこで売れる可能性もあります。

しかしながらそれは書籍の話。雑誌の販売期間は原則、次の号が出るまで。ということで、雑誌の多くは、返品、品を返すとは建前、取次の元で裁断され、古紙となる、そうです。

ただ、飽くまで返品、ということで、部数を証明するために、表紙だけ千切って出版社に送っている(た)とか。これを表紙返品と言いますが、今でも行われているか知りません。さながら、戦国時代、戦功を証明するために敵兵の鼻や耳を削ぎ取って持ち帰った如くですね。首だと、かさばりますから。

S&S

しかし、裁断するなら、取次ではなく書店でそれぞれ裁断してはどうでしょうか。書店は返品した分、商品代は満額返金されるのですが、送品コストはかかります。それより、地域の古紙回収に出せば、トイレットペーパーと交換できる。ばかりか、まとまった量が日々出るので、うまく契約すればお金になるかもしれません。まさに三方よし、ウィンウィンの関係で少年合唱団。

でも、書店各自で裁断処分だと、どうやって返品を証明するのか。裁断しといたでー、つって、売られたらかないません。また、古紙屋が回収後、中古雑誌で横流しされても大変です。裁断処分は必要ですね。

ということで、必殺、スキャン&シュレッド。S&Sです。取次各社が共同で開発した(という設定の)、スキャナーとシュレッダーが一緒になったマシン。雑誌の綴じるとこ辺りにQRコード的な何かを仕込ませておいて、これを読み取って即裁断するもの。これを使えば、返品部数を証明しつつ、裁断されて再利用される心配も無し。

そんなマシン買ったり開発したりするのお金かかるんじゃないの? まあ、いや、でもこれで、書店と取次の返品コストが雑誌分だけでも浮けばしめたもの。儲かるのはまたシステム会社でありますが。

応用編

このスキャン&シュレッド、返品だけじゃなく、他でもあったら便利ではないでしょうか。書類を電子化する会社など。個人的にはファックスにつけて欲しいです。送信控を処分するのが面倒なので。送信完了の確認がとれたらそのまま廃棄して欲しい。

雑誌の裁断は綴じられているのでそこが課題ではありますが。じゃりじゃり切るタイプじゃなく、ドリル状のもので「穴をあける」みたいなのが良いかもしれません。

附記

  • かつてマドラ出版の月刊誌「広告批評」(2009年休刊)が、書店による表紙返品・現地処分だったと記憶しています。
  • 察するに、現取次返品現場には、お抱えの古紙回収業(中略)ので、そういう意味で実現が難しいところです。

書雑習合、その思想的意義

「なるほど、前回の記事で書籍と雑誌が似て非なるものなら統合しちゃえ、というのはわかった。でも結局それで、どんな効果が具体的にあるんだろう?」というお便りが先日、当社の方に寄せられたわけではありませんが、ともあれあった風にして、この御尤もな疑問にお答えしたいと思います。

まあ、特に目立ってお得な効果は無いんですが、損は防げるのではないか、というお話です。

{ 書籍 | 雑誌 }を間違って{ 雑誌 | 書籍 }として返品してしまった

あるある。いや、そんなに無いか? でもあったら、大変、場合によっては返品の返品、悪名高き逆走というやつです。又は、手数料みたいなん取られるかもしれません。ともあれ、書籍と雑誌を間違えただけで、余計なコストがかかってしまう。コミックなんかでよくあるという噂。

バーコードバトラーを使って返品しているとエラーを感知したりしますが、最近のトレンド「無伝返品」(無我の境地に至ることで可能となる返品手段のこと)だと、却ってスルーしてしまう可能性が高いのではないでしょうか。

{ 書籍 | 雑誌 }と思って予約したら{ 雑誌 | 書籍 }だった

あるある。いや、そんなに無いか? 書籍を雑誌と思い込む分には「雑誌コードが無い」ことにより、こいつは書籍だぜ、と気がつきやすいのですが、ISBNがわかったからって、ムックを書籍と思い込んだら……。「そういえばお客さんから予約のあったあれ、いつ発売だっけ? ちゃんと手配したんだけど」と調べて一週間前既に発売していたと発覚する瞬間、背中に走る悪寒たるや。

書雑鑑定士は廃業

しかし、こうした具体的な取り違いよりも、出版流通に携わる人は、本を一冊見る度に、書籍かな、雑誌かな、と思いを馳せることになる、この時間の無駄よ。裏返してバーコードや雑誌コードの有無を確認するまでもなく、ベテランなら一冊あたり一秒に満たぬ早さで判断つくでしょうが、本は大量、業界全体で費やされた延べ時間は、正に「失われた20年」に相当するのではないでしょうか。

斯くも不合理な話ですが、書籍と雑誌を統合しようという話は他で聞いたことありません。何故でしょう。思うに「こんな簡単なこと、間違えるわけない」という、業界人の矜持? が、疑問を挟むことすら許さなかったのではないでしょうか。

今や各種書類の記入項目に「性別:男・女」と設けることすらナンセンス。文化資本たる本が、書籍と雑誌の違いであーだこーだと嘆かわしい限りではありませんか(余談ですが、男性実用、女性実用、なんて分類もやばいっすよね。店頭にそう掲示されているわけではないけど、内部的にはこういう言い回しがまだあるとか)。

と言う訳で、明日から、とは言いませんが、明後日から、業界三者、手を握り合って、ベルリンの壁を、38度線を、ドーバー海峡を、軽やかに越えて行こうではありませんか。